事業承継と事業再生の成否を分ける「二つの力」 ― 経営者が学ぶべき「数字」と「マーケティング」 ―

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬもののあるべきか。」
― 織田信長 ―
「息子はまだ頼りないんです」
「あの-。実を言いますと、うちの息子はまだ少し頼りないんです。」
金融機関が主催する事業承継の個別相談会で、ある経営者がそう言いました。隣には後継者である息子さんが静かに座っています。社員からの信頼も厚く、現場の業務はほぼ任されているとのことでした。
しかし話を聞き進めると、営業交渉、資金繰り、金融機関対応、決算書の説明など、経営の中枢業務はすべて現経営者が担っていることが分かりました。
私はその時、心の中でこう思いました。
「それでは、頼りなく見えてしまうのも無理はないのではないか」と。
多くの企業で見えてくる共通点
私はこれまで、地域金融機関や官民ファンドで経営改善・事業再生・債権管理に携わり、また事業会社では経営管理や事業譲受、M&Aの実務を経験してきました。そうした立場から、多くの中小企業の経営者や組織を第三者として見てきました。
その経験の中で強く感じていることがあります。
それは、事業の維持・改善・成長を左右する共通要因があるということです。
それが、経営者が「数字」と「マーケティング」を学び、実践しているかどうかです。
中小企業診断士にとっては当たり前のことのように聞こえるかもしれません。しかし現場では、この二つの理解と実践の差が企業の将来を大きく分けていると感じます。
経営の共通言語としての「数字」
ここでいう「数字」とは、単に決算書を読むことではありません。会計、財務、税務、原価管理、労務など、自社経営に関わる基本的な仕組みを理解し、経営計画や実績を数字で説明できる状態にあることを意味します。
数字は経営の共通言語です。金融機関や取引先、社員との信頼関係を築くうえでも欠かせません。業績が低迷している企業では、この数字の理解や活用が曖昧で、経験や勘に頼った経営になっているケースが少なくありません。
トップラインを伸ばす「マーケティング」
もう一つの柱がマーケティングです。ここでいうマーケティングとは、流行の手法を追うことではありません。古典的な理論の中から自社に合う考え方を見つけ、時代に応じて施策を工夫しながら実践していくことです。
つまり、既存事業で着実に利益を確保しながら、トップラインを伸ばす次の一手を打ち続ける経営です。業績が安定している企業の経営者は、この視点を持ちながら経営を進めています。
承継の現場で起きていること
事業再生の局面では、経営責任・株主責任・保証責任が問われます。そして多くの場合、経営者交代が行われ、結果として「事業承継」も同時並行で進められます。
その際、後継者に求められるのはコミュニケーション能力だけではありません。「数字」と「マーケティング」を理解し、実践できる素養があるかどうかが重要になります。
しかし実際の承継現場では、現場業務は引き継がれていても、資金繰りや金融機関対応などの経営の核心部分が後継者に任されていないケースが少なくありません。その結果、後継者は経営の実務経験を十分に積めないまま、「まだ頼りない」と評価されてしまうのです。
忘れられない後継者の言葉
一方で、再生案件の中で印象に残っている後継者がいます。経営危機に陥った父親の会社を引き継ぎ、見事に事業再生を成し遂げた方です。
その方は、会社を継ぐために必要だと考えた知識や経験を得るため、転職を重ねながら経営の実務を学んできたそうです。そして父親の会社に戻る決意をしたとき、自分自身に次の言葉を課したと教えてくれました。
「三年間の孤独に耐えられれば、必ず利益は出せる。耐えられるかどうかだ。」
両親に敬意を払いながらも、経営については口出しをしないよう約束してもらい、自らの責任で会社再建に取り組んだ結果、事業再生を実現しました。その言葉には、経営者としての「覚悟と志」が凝縮されているように感じました。
中小企業診断士に求められる役割
こうした経験を通じて、私は事業承継こそ中小企業診断士が伴走支援すべき重要な領域ではないかと考えています。
経営者は孤独な存在です。前出の再生を成功させた経営者であっても、重要な局面では第三者に相談しながら意思決定を行っていたと聞きます。
中小企業診断士の役割は、財務・法務・労務・税務などの専門知識を提供することにとどまりません。各専門家と経営者をつなぐハブとして、そして経営者の思考を整理する「壁打ち相手」として寄り添うことにも大きな価値があります。
私自身も、中小企業診断士としてその役割を果たしながら、事業承継という経営の重要な転換点において、経営者とともに考え、伴走していきたいと思っています。
中小企業診断士 丸山純一








