「経験という刃物」を振り回していないか

中小企業診断士の内田英明です。
先日あるセミナーでこんな記述を知る機会がありました。
「老人と若い人との衝突については、たいてい双方ともに責任があるのは、もちろんであるが、老人は若い人を助け、導いて行く側であるだけ、それだけ責任が重い。だからこそ、老人はよほど譲ってやる所がなくてはならないのに、実際はそうでなくて、老人はとかく経験という刃物を振り回して、若い人を威(おど)しつける。何でもかんでも経験に服従させようとする。そして若い人の意見は少しも取り上げないで、少し過失があると、すぐにこれを押さえつけて、自分で舞台に出ようとする。若い人の意気込みや、尖ったやる気は、このために挫かれるし、また青年の進路はこのために塞がってしまう。実業界にもこういう例は、至る所に見受けられるのであるが、これでは老人の方がとても悪い。事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である。」
これは、住友財閥の中興の祖である伊庭貞剛が「実業之日本」(1904年2月)に「少壮と老成」として寄稿したものの一部です。伊庭貞剛は、日本の近代化に寄与した別子銅山の経営再建を主導し現在の住友グループの礎を築いた人物であるが、57歳で住友の理事を退任し、後進に道を譲っています。上記の寄稿をして間もなくのことです。
江戸時代以降特に儒教の考え方が浸透した日本社会では、年功序列の慣習が現在でも根強く残っていると感じることがあります。もし、年輩者=上位者として経験という刃物を振り回して若者を威圧しているとすれば、若い人材の意欲や組織の活力を低下させることになりかねません。
もちろん経験そのものは大切にすべきですが、過去の経験が現在にそのまま通用するとは限りません。まして昨今のデジタル技術の急激な進化もあり、現代はVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代であり、過去の経験が役に立たない場面が増えています。現代は人類史上はじめて、年長者が年少者から学ばなければならない時代といっても過言ではないでしょう。
100年以上前に伊庭貞剛が残した言葉は、今ますます重みを増しているのではないでしょうか。







