新聞について
今回は新聞に関する雑談です。インターネットでさまざまなニュース速報を得られる昨今、新聞の宅配を停めている方もいらっしゃるかもしれません。しかし私は紙の新聞が欲しくて、東京に単身赴任している間も自宅に配達して、家族に保管してもらっていました。なぜかというと、新聞の切り抜きをするのが楽しみだからです。ちなみに我が家では2紙取っており、1紙は家族も読む一般紙ですが、もう1紙の日経新聞は私しか読みません。切り抜きをしているのは後者です。
現在コレクションしている記事は3つです。「私の履歴書」、文化欄の10回シリーズの囲み記事、それから日曜版の「美の粋」です。「私の履歴書」は2003年イトーヨーカドーの伊藤雅俊氏から。文化欄の囲み連載は2007年「音の聞こえる絵画」シリーズから。「美の粋」は2013年から(当時は「美の美」)の紙面を残しています。読み返したくなりそうな記事を捨てるのがもったいないと思って始めたのがきっかけです。切り抜いた記事がたまってくると置き場所に困るものですが、スキャンして保存する機器を導入してから管理が楽になりました。
とはいえ毎日切り抜くのを義務にすると苦行になるので「私の履歴書」は失礼ながらセレクトしています。アーティストや芸能人は全員対象。普通の人とは違う人生の歩みが面白いから。企業人だと創業者は基本的に対象。創業の悲喜こもごもは読みごたえがあるから。サラリーマン経営者や二世三世にはあまり食指が動きません。
そのような楽しみもある新聞ですが、子どもたちに読めといえるかというと少し躊躇するようになりました。1紙だけでは視点が偏ると思うからです。私は経済的な理由で2紙しか取っていませんが、読むなら最低3~4紙に目を通す必要がありそうです。特に配達してもらっている一般紙のもう1紙は、どこの国の誰のために書いているのか分からない記事がまぎれています。結論ありきの自説の主張のために、論点ずらし、事実スルーなどの技を駆使しているのが分かるとがっかりします。世界が大きな転換点を迎えている現在、新聞にも変わるべきところは変わって欲しいと思います。
話が逸れました。新聞のいいところは広い情報を一瞥できること、ネットでは探しもしない小さな記事に意外な発見があるところだと思います。切り抜けるような連続記事にも楽しみがあります。うまく使い分けてゆくのが良いのでしょう。
麻生秀明